京極高次


京極高次墓


滋賀県米原市(徳源院)

本能寺の変後、明智光秀に味方したため、秀吉から
追われるが、妹(竜子)が秀吉の側室になったので復帰。
高次の妻は秀吉の側室・淀君の妹、徳川秀忠の妻・
お江の姉であるお初。(父は浅井長政、母は織田信長
の妹・お市の方)関ヶ原の戦いでは、徳川家康につく。



京極竜子は武田元明の正室、のち豊臣秀吉の側室。

武田元明の墓

高島市マキノ町海津・宝幢院


大津城

大津市

大津城の戦い
慶長5年(1600)9月7日から9月15日まで、大津
城を巡っての戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦。
西軍の京極高次は、突如東軍に寝返り、大津城に籠城。
これに対して、毛利元康を大将とし、立花宗茂、小早川
秀包、筑紫広門ら15000人の軍勢をもって、9月7日より
大津城に攻撃を開始した。京極高次らは奮戦するも、
9月15日に降伏し、大津城を開城する。高次は助け
られ、高野山に上がって出家することになる。
大津城の戦いで西軍は勝利するが、15000の兵力を
関ヶ原に向けることが出来なかった。特に、立花宗茂
が関ヶ原に参戦出来なかったことが、西軍にとっては
不運だったと言われる。宗茂は、戦後に改易。関ヶ原戦後、
徳川家康は、この功により京極高次に若狭一国を与えた。


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